目的
小樽建設協会は、会員の親睦を図り、建設事業に関する経営と技術の研究を行い、業界の進歩と向上に努めるとともに、公共の福祉の増進と、広く社会に貢献することを目的としております。
沿革
小樽後志地域における建設業の輿りは、小樽市史などによれば、安政五年のころ松前藩の下級武士が、生計の手助けにと市内のあちこちで貸家建築に手を出したことが、後年市内の発展と建築増の実態から建築技術の向上にもつながっていったとの見方をしている。
明治中期以降、政府は北海道開発の拠点的役割を小樽に求めたことから、道内外から資材、人員を満載した定期船が、函館、小樽を中心に動き、内地資本の投下が次から次へと行われ、新しい建築技術が競われることとなった。
すなわち、明治、大正、昭和の時代に建てられた代表的建築物で、今もその偉容を誇る日本郵船小樽支店、拓銀小樽支店など、また、昭和になって三菱銀行支店、三井銀行支店、富士銀行支店、千代田ビルなどがあげられる。
このように、小樽では建築が主流を占めていたが、一方、後志地域の他の地方では、鉄道・道路の建設など土木が主流という形となり、この流れは後世まで受け継がれてきた。
明治から大正初期にかけては、いわゆる請負師の時代であったが、大正になってからは、この請負師たちが徐々に親睦的な団体を組織するようになり、大正5年に北海道土木建築請負業組合という組織が出来て大正11年に道庁の認可を得ている。
大正13年、後志地域にも、倶知安土木建築請負業組合と小樽土木建築請負業組合が支部として認可された。小樽後志地域の主な業者は、小規模な団体を組織するとともにこの支部にも加入し、業界団体としての活動が始まった。
乏しい資料からこれらの組織の変遷を辿ってみると、戦時特別法制や戦後の混乱期を経て、昭和28年10月に後志管内各地域の業者が大同団結して後志小樽土建協会が組織された。
これが現在の小樽建設協会の前身であり、このときをもって当協会の創立とされたのである。
一方小樽を中心とした業者で組織する小樽建設業協会という組織も並存しており、その後、昭和32年に社団法人北海道建設業協会が設立されて、後志からは、後志小樽土建協会と小樽建設業協会の両者が加入し、一地域から2つの協会が加入するという変則的な状況が続いたのである。
その後、この変則的な状況を解消すべく、業界その他関係方面の幹部の皆様の大変なご努力により、昭和40年1月に両者が合併して、その名も小樽建設協会となった。
更に、平成16年1月には、昭和38年10月に設立されていた後志建設事業協会が事業の効率化を図る目的に合併し、現在の小樽建設協会の姿となったのである。